私たちが「コミュニティ」に立脚する理由
◆生活者をマスでも個でもなく、「コミュニティ」として捉える
日宣は、「コミュニティ発想」という考え方を、自分たちのフィロソフィーとして、また、あらゆるクリエイティビティの起点として、掲げています。これは、2030年に向けた私たちの企業ビジョン「日宣2030ビジョン」において新たに打ち出したキーワードです。
「コミュニティ発想」とは、生活者をマスや個としてではなく、「コミュニティ」という小さなつながりとして捉える、ということ。そしてそれをもとに、さまざまなクリエイティビティ、価値を生み出していこう、という考え方です。
なぜ私たちが、「コミュニティ」から発想するという考え方を、いま掲げるのか。それには、3つの意味があります。
1つは、「コミュニティ」には、社会や地域にグッドを生み出すパワーがある、と考えるからです。
「コミュニティ」とは、共通の思いやニーズ、目的、価値観、カルチャーなどでつながっている、人と人との小さなつながりです。「コミュニティ」がもつ共通の思いには、個人という単位では決して出せない動力、求心力、拡散力、影響力があります。それは、その「コミュニティ」が持つポテンシャル、と言えます。私たちは「コミュニティ」を、これからの社会や地域に活かすべき動力源だと考えています。
生活者を“同質の大きなかたまり”と捉える考え方(=マスマーケティングの元となる考え方)は、時代の流れと共に後退し、いまや社会の個人化と、個の多様性尊重の流れは、不可逆の流れです。一方で、個が一つの共通性のもとにつながった「コミュニティ」という単位には、個の何倍・何十倍ものパワーが潜在している、と思います。さまざまな「コミュニティ」にポテンシャルを見出し、その力を軸や起点にして、企業・クリエイター・専門家・サービスベンダー・自治体といった存在をつなげ、掛け合わせることによって、社会や地域の幸福につながるユニークな仕組みやサービスを発想していく。その考え方は、これからの社会・地域にとっての、ひとつのベストウェイなのではないか。私たちは、そう考えました。
2つめは、生活者を「コミュニティ」として捉えることが、企業と生活者の幸福な関係性づくりに寄与する、と考えるからです。
社会の個人化、世帯の個人化と共に、マーケティングも個人化し、デジタルテクノロジーは、企業のマーケティング&コミュニケーションをどんどんパーソナライズの方向に進化させています。個人の情報をもとに、生活者にとっては、自分に合った情報、自分に合った商品が届けられる。その形は、もちろん、生活者と企業の関係性の進化であり、それによって生活者が受ける恩恵も大きいことは間違いありません。一方で、別の見方をすれば、生活者は企業に追跡される時代、という見方や側面もあります。生活者を「ID」として捉え、そのデータをもとにマーケティングを細分化し最適化していく。そうしたマーケティングの先に、必ずしも、生活者と企業との幸福な関係性の答えがあるとは限りません。企業にとっては、マーケティングのパワーや影響力、波及力のサイズダウン、生活者にとっても、いわゆる“広告モデル”が生み出してくれる恩恵のサイズダウンの加速につながる可能性もあります。
「コミュニティ発想」は、そうした時代における、もう一つのアプローチの考え方だと思っています。つながりたい生活者、共創したい生活者を、マスでも個人でもなく「コミュニティ」として捉えていく。その考え方には、生活者と企業の新しい関係性の可能性があります。企業は、「コミュニティのニーズやパーパスを実現していく、叶えていく」という構造・プロセスのなかで、新市場を開発していったり、生活者のジョブ達成のためのブランドというポジションを形成していくことができます。また、コミュニティとのエンゲージによって、機能価値を超えて必要とされるブランド、愛されるブランドになることができる。コミュニティ自らコミュニティ内にブランドを広めてくれるから、マーケティングコストを効率化もできる。そして、人口減少社会=市場縮小社会のなかでも、しっかりと顧客との長期関係をむすび、利益を上げられるブランドになっていける。生活者にとっては、企業の力、支援、エンパワーメントを活かしながら、自分たちの想いやジョブをより大きく、実現していける。自分たちが望む世界を、具現化していける。そんな、企業と生活者の相互関係性が築けるのではないか、と考えます。
そもそも、自社の顧客は、自社とつながっている「コミュニティ」としてのポテンシャルを持っています。そのブランドを購入している顧客のなかには、何かしらの共通の価値観や嗜好性がありえます。その価値観を体現する/表明するために、そのブランドを買っているのだとしたら、それは単なる顧客群ではなく、ある種の「コミュニティ」なのだと思います。単に、企業と個々の顧客の1対1の関係性を超えて、なにかの共通の価値観や指向をもつコミュニティとブランドがつながっていて、支持を受け、ときに共創している。そんな関係性がつくれたら、幸福な関係性だと思います。
そして3つめは、日宣が、長年、「コミュニティ」と関係した仕事をしてきた会社だから、です。
日宣は、75年の歴史のなかで、いわゆるメディアバイイングを生業のベースにしてこなかった広告会社です。その領域では、自分たちじゃなきゃいけないユニークな存在価値やクライアント貢献は生み出せない、、そうした思いから、日宣は、クリエイティブや編集力をもとに、フォーカスした領域でバーティカルにサービスを提供する広告会社、という独自の方向性を歩んできました。結果として、日宣は、「広く遍く伝える」という仕事よりも、むしろ、特定のつながりやかたまりとしっかりつながる・しっかり語る、、そんな仕事を強みとしてきました。例えば、全国各地域のケーブルテレビ局と契約している地域世帯、というつながり。例えば、唯一無二のアイデンティティをもった住宅ブランドのオーナーたちやその予備軍、というつながり。例えば、ユニークなサンドイッチチェーンの利用客・ファン、というつながり… 日宣は、そんなつながりに向けた仕事、そんなつながりを強くする仕事を、やってきました。
私たちは、いま、これからの社会における広告会社の存在価値が問われている、と思います。“広告モデル”を通じて、生活者の暮らしや社会に、企業の力を効果的に還流させていくことが、広告会社という生業の役割だとしたときに、従来のような「メディア」を主体・前提とした広告モデルでは、かつてのような生活者と企業の幸福な関係性づくりに寄与しなくなりつつある、と考えています。マスメディアによる刷り込みでも、デジタルによる個人追跡でもない、新しい広告モデルの在り方って何だろう。日宣は、これからの社会のなかで、広告会社として、どういった役割を果たすべきなんだろう。そう考えたときに、私たちは、長年、自分たちが向き合ってきた“つながり”を改めて「コミュニティ」として捉え、コミュニティを起点にすることで、さまざまなステークホルダーに向けて/と共に価値を生み出す広告会社でありたい、と思いました。これまでに培ってきた、“小さなつながり”に向けてコミュニケーションやマーケティングを行う経験値とノウハウをもとに、新しい価値を、生活者コミュニティにも、クライアント企業にも、地域にも、提供できる存在であろうと思っています。
この3つの理由から、私たちは、「コミュニティ」を軸・起点にする会社でありたい、と考えています。