価値観の差をどう埋める?今どき世帯と介護
現役世代の人口減や核家族化、“世帯の個人化”が進む現在において、介護に対する考えや捉え方は変化しつつあります。今どき世帯と要介護者の間に生まれる“価値観の違い”はどのように埋めていくべきなのでしょうか。今回は、「LIFULL介護」編集長・小菅さんと介護から見える今どき世帯について語りました。〈聞き手・世帯研究所 岩岡明愛〉
昔と今、変わりつつある介護の意識
世帯研究所・岩岡(以下、岩岡):
最近は、人生100年時代とも言われ、介護期間が伸びていると聞きます。家族や社会の構造も大きく変化している中で、介護に対する考え方は今と昔で変化していたりするのでしょうか?
小菅さん(以下、小菅):
2000年に介護保険ができてから、大きく変わりました。以前は介護といえば、“家族で看る”のが基本でしたから。
岩岡:
突然家族に介護が必要になっても、家族だけで看続けるのは、体力的にも精神的にも結構大変なことですよね。昔はどうして家族で看ることができたのでしょうか?
小菅:
実際は、“なんとかなってしまった”という言い方が正しいのだと思います。昔は三世代同居が当たり前でした。妻は専業主婦で自宅にいる時間が長く、頼れる兄弟も多かった。近所付き合いも盛んで、他者への協力を求めやすかったのかと。また、現在ほど長寿ではなかったことも大きいですね。
岩岡:
現在とは世帯の構成や構造が大きく違いますもんね。今はどうなのでしょうか。
小菅:
介護保険に代表される国の制度や、それに伴う介護サービスが整って、介護が始まっても、自分の人生を尊重できるような社会になってきたと思います。“自力で行う介護”や、“家族で看る”時代から、できない部分は外部サービスに頼るように変化しました。
岩岡:
でも介護って、家族のことだからこそ、問題を自分だけで抱えようとしてしまいそう…。自分の生活を後回しにしなくてもできるのだと気付くことが大事ですね。
小菅:
なかには、未成年のうちに両親や祖父母の介護が始まってしまう人もいます。多くの場合、彼らは自分の置かれている状況に疑問を持つことができず、周囲にSOSも出せません。本来、大人が担うべき家事や家族の世話をしている子どもは、“ヤングケアラー”と呼ばれ、徐々に注目され始めました。
岩岡:
ヤングケアラーという言葉は、確かによく聞くようになりました。以前は兄弟の世話をしたり、母親代わりになって家事をすることが“いい子”として片付けられていたのかなと思います。今になって問題視され始めたのには、何か理由があるのでしょうか?
小菅:
そうですね。ヤングケアラーについては、2020年に国が大規模調査を行ったことがきっかけで注目されるようになりました。数年前から独自に調査を進める自治体があり、その内容が市議会などで取り上げられ、ヤングケアラー問題が顕在化してきた背景があります。
岩岡:
注目されるようになって本当によかった。人生の選択肢が介護によって奪われてしまっては、個人が尊重される社会とは言えないですよね。特に子供は、その先の将来が長いわけですから、家族の世話に時間を取られて将来の夢を我慢したり、諦めたりするのは辛すぎる…。
小菅:
今は会社経営や社会においてもダイバーシティが重要視される世の中ですから。子供であっても、尊重されるべきですよね。
今どき世帯は、“頼り方”がわからない?
岩岡:
介護は、少しずつ始まることもあれば、ある日突然はじまることもある。それに、人によって必要な介護のスキルも違いますよね。やはり、知識がない中で突然介護を!といわれても、戸惑うことばかりだと思うんです。
小菅:
そうですよね。昔は家族の人手も多くて、負担も分散することができましたが、今はそうもいかないですし、介護期間も長い。一人で背負うには負担が大きすぎる!だからこそ介護保険やサービスがあるわけですし、頼ることって本当に大事なんです。
岩岡:
今どき世帯でいえば、核家族で祖父母世代も遠方に住んでいることが多いし、家族の誰かが親や親戚を頼ったりするシーンが少なそう。そんな状況が当たり前で、周りに頼る親世代を見てこなかった子世代は、困ったときに誰かに相談したり、力を借りようという発想に行きつかない気がします。先ほどのヤングケアラーの問題もここに通じそう…!
小菅:
ヤングケアラーに当てはまる子も、学校などからは困ったことがあれば相談するように言われていると思うんです。ただ、頼り方がわからないとどう発信したらよいかわからないですよね。仮に先生がその子の状況に気づいたとしても、先生に介護の知識があるわけでもありません。あとは、家庭にまで介入したくないという教師側の声も聞かれます。
岩岡:
八方塞がりのような状況に見えてしまいます…。
小菅:
でも第三者に頼っていくメリットは絶対に大きい!ヤングケアラーに関しては、外側からの支援は必要不可欠です。また、大人でも人に頼りたくないとか、誰かに頼ることがあたかも迷惑をかけることだと思い込んでしまっている人は多いはず。
岩岡:
介護は“家族で看る”のが当たり前と考える上の世代とのギャップも、外の支援を受けづらい状況をつくってしまっている気がします。介護を自力で行ってきた世代の要介護者と、介護が始まっても自分の人生を尊重できる社会を生きる今どき世代との間にある価値観の違いはどう埋めればいいのでしょうか…。サービスや施設が充実していても、要介護者に嫌がられてしまうケースもきっと、ありますよね?
小菅:
そういう場合は、親の主治医を味方につけるのも良いかもしれません。主治医とコンタクトをとって、普段の状況を説明し、介護の支援を受けたいと相談するんです。すると、先生の方から要介護者に対して、介護サービスを受けるメリットを説明してくれることが多い。その世代で介護のサービスを受けていない人はいないよと教えてもらえば、みんなも使っているんだ!と思うはず。信頼するドクターから話されて、気持ちが変わったという人はたくさんいますよ。
岩岡:
たしかに、家族からの一方的な話よりも第三者の話の方が聞いてくれるかも!
小菅:
他には、介護保険は誰もが支払ってきたものであると伝えるのも大事。介護保険はいざという時のために国民全員が支払うものなので、使って元を取るぐらいでいいと思うんです。
岩岡:
心情に訴えるというよりは、合理性に働きかけるんですね!感情論で話したり、お互いの価値観を押しつけ合うのはラチがあかないし、話が進まなそうですもんね。考え方に違いがあることを認めた上で、医師のような専門家に説明してもらう方が、納得できる結果になりそうです。
介護をプロジェクト化すれば、方向性が見えてくる
岩岡:
介護サービスを使えば、仕事や自分の時間を犠牲にすることなく、一人で負担を背負いこむこともありません。自分のペースを保ったまま、家族はプロの方々からサポートしてもらえる。良いことが多いとわかりました。
小菅:
その通り!介護をする人とされる人の両方に、それぞれの人生の楽しみ方や幸せの形があると思うんです。それを差し置いて、介護のために人生を犠牲にする必要はありません。
岩岡:
“それぞれの幸せ”という考え方は、今どき世帯の在り方と共通するように感じます。個々の人生を大切にする今どき世帯だからこそ、より良い介護にたどり着く可能性もあるのでは?
小菅:
そうですね!多様性に慣れつつある今どき世帯は、親世代との価値観のギャップを理解した上で、物事を進めていけるのではないでしょうか。また、今どき世帯は忙しく時間にも限りがあるはずなので、介護をあえて1つの“プロジェクト”として考えるのもよいかも。
岩岡:
プロジェクト…?なんだか仕事みたいですね(笑)
小菅:
要介護者を取り巻く家族をチームと捉え、役割分担や連絡手段、決定権の所在などを決めておく。決定事項はオンラインツールで共有するなどして、効率化もできます。そうしていけば、プロジェクトのフェーズが変わるごとに、新たなステップに対応していく柔軟性を持つことができるはず。
岩岡:
なるほど、おもしろいですね!プロジェクト化していけば、より良い介護に向けたTO DOが整理されていきそうです。要介護者や家族の状況に合わせ、介護のどこを外注するかも合理的に考えることができますし、介護サービスや協力先を巻き込むことで、皆にとって最良の選択肢が見えてきそう。
小菅:
従来の介護保険サービスだけでなく、センサーなどIoTを駆使して離れて住む家族の様子を知ることもできます。今どき世帯ならば、テクノロジーとの親和性も高いですし、取り入れやすいのでは?
岩岡:
たしかに!様々なツールを使ったり、介護をプロジェクト化することで、外に頼るのが苦手な今どき世帯でも、ツールや第三者を巻き込んだ介護が自然とイメージできそう。
小菅:
価値観の違いがあるからこそ、第三者を入れて、適切な距離を保つのも大事なんです。距離が近すぎると、要介護者が家族に依存してしまうことも。すると、家族も要介護者に何かをやらせるよりも自分がやった方が早く終わると手を出しすぎてしまう。結果的にその方の身体機能を低下させることにもなりかねません。
岩岡:
介護をしている方の多くは、四六時中、自分が付きっきりでいなきゃ!と思っているのではないでしょうか。“適切な距離”を意識することも必要なんですね…!
小菅:
気持ちの衝突だけでなく、近すぎる距離は物理的にもネガティブな影響があるんです。
岩岡:
なるほど。適切な距離と多様な生き方を踏まえた介護が、今どき世帯の幸せにつながりそうですね!これから介護が始まる世帯にとって、とても参考になるお話でした。貴重なお話、ありがとうございました!
まとめ
世帯研MEMO